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『春は出会いと別れの季節――』

 

誰かがそう言った。

 

3月は年度を締める時期。

学生であれば、最高学年が卒業を迎える。在校生もこのクラスでいられるのは最後だ。

社会人だって会社の節目の時期。部署移動が発表されたり、年度締めに合わせて転職していく人もいるだろう。

 

4月は新しい年度が始まる時期。

学生なら、新しい学年が入ってくる。学年も変わり、新しい顔ぶれに喜ぶ者もいれば、悲しむ者もいる。

会社には新卒として、内定を勝ち取った者が入社をしてくる時期。

新しい部署の仲間と、フレッシュな新卒で、また1年乗り切ろうと気合を入れる人も多いだろう。

 

そう、春は出会いと別れを同時に味わえる季節。

それは、僕にとっても例外ではなかった――。

 

「……あ、桜…」

 

開け放した窓からふんわりと優しい風に導かれるように、一枚の桜の花びらが手元へ落ちてくる。

 

「そうか…もう春になっちゃったんだね」

 

窓の向こうから、ピンク色の花びらを掴もうと走り回る子供達の笑い声が聞こえてくる。

 

「僕に残された時間はあとどのぐらいあるんだろう……」

 

そんなことを考えながら手の上に乗せた花びらを見つめていると、突然勢いよく病室の扉が開いた。

このドアの開け方…。

振り返らずとも、誰が入ってきたのか分かって、つい頬が緩む。

 

「やぁ、瑠衣(るい)。また僕に会いに来てくれたの?」

 

僕がそう尋ねれば、瑠衣は一瞬だけ嬉しそうに笑顔を浮かべてくれるけど、すぐにうつむいてしまった。

勢いよく扉を開けて飛び込んできたくせに……。

彼女は足は入口から一歩進んだ所で止まってしまった。

 

――分かっている。

日に日に変わっていく僕の姿を受け入れられずにいることも、それでも僕に少しでも笑って欲しいと会いに来てくれることも、僕と一緒にいたいと思っていてくれることも全部。

全部、痛い程によく分かっている。

瑠衣は分かりやすいぐらい、とても素直な子だから…。

そう、初めて出会った時だって、君の考えていることはすぐ分かってしまったんだ。

 

瑠衣と出会ったのはつい最近だ。卒業シーズンと呼ばれる時期だから、3月の上旬ぐらいだったと思う。

あの時も僕はこの部屋から外の景色をぼんやりと眺めていた。

ひんやりとした空気の中に春の匂いが混じっていて。寒いのに暖かい――。そんな季節の変わり目特有のアンバランスさが心地よくて、窓を開けてただ空を見ていた。

どのぐらいそうしていたのかは分からないけど、突然ふと女性の歌声が聞こえてきて。

その声に耳を澄ましてみれば、何やらどこかの学校の校歌らしい詞の歌だった。

何だか切なく、とても悲しい歌声に、気になった僕はそのまま病室を抜け出して庭に移動したんだ。

彼女に見つからないようにと、こっそり木陰から様子を見れば、パジャマを着た女の子が涙を流しながら歌を囁いていた。

手には卒業証書と書かれた筒が握り締められている様子から、恐らく、病気か怪我で入院をしていて、今日行われた卒業式に参加できなかったんだって分かった。

何だか声をかけてはいけないような気がしたから、何も言わずに去ろうと思っていたのに、彼女を見れば見るほど、このままにしてはいけないように思えてきて。

どこも見ていないような曇った瞳は、死を移しているような気もしてきて、気がついたら声をかけていたんだ。

「卒業おめでとう」

初対面だというのに、何でこんな声の掛け方をしたのかは自分でも分からなかった。

でも、振り向いた彼女の瞳には驚きと嬉しさが宿っていて、それがとても綺麗だった。

後から聞いたら、誰かに直接その言葉を言われたかったとか言っていたっけ。

いきなり見知らぬ男の人から声を掛けられて驚いたけど、すごく嬉しかったんだって笑う瑠衣は本当に嬉しそうだった。

 

それから僕達はすぐに打ち解けた。

瑠衣は昔から体が弱くて、入退院を繰り返しているらしい。

今回は長期戦だそうで、長いことこの病院にいるそうだ。

瑠衣の病状は難しい名前でよく分からなかったけど、どうやら重い病気みたいだ。

僕も瑠衣と似たような境遇だから、共通する話が多くて、自然と仲良くなっていた。

初めの頃は、僕も調子が良かったから、こっそり病室を抜け出して瑠衣の部屋に行っていたのだけど、今ではそれができない。

だから、こうして瑠衣の方が病室を抜け出して僕に会いにきてくれていた。

 

「瑠衣…?ほら、こっちにおいでよ。立っているの、辛いでしょう?

ベッドの横に椅子があるから、そこへ座りなよ」

 

こっちへ来るように促してみるけど、瑠衣の足は動こうとしない。

きっと泣いている。僕に泣き顔を見せないように顔を伏せて我慢しているみたいだけど、瑠衣のことだから堪えきれずに涙を流しているのだろう。

瑠衣のこういう優しさが僕は好きだ。瑠衣にありがとうと言って涙を拭いてあげたい。

だから、こういう時は僕から声を掛けるんだ。

 

「瑠衣、僕に会えて嬉しくて泣きたい気持ちはよく分かるけど、ここからだと君のことを抱きしめてはやれないよ」

 

「べ、別に泣いてなんかないわ。確かに希弥(のぞみ)に会えて嬉しいけど……」

 

「ふふっ、そう。嬉しいんだ?」

 

「あっ…、さ、さっきのはそのっ……あ~~っ、もう、嬉しいわよ!ものすごく嬉しい!!」

 

「あははっ、そこで開き直っちゃうんだね。瑠衣のそういう所、好きだけどさ」

 

少しからかってやれば、瑠衣は拗ねながらもいつもの調子を取り戻してくれる。

こっそり、胸の中で安堵して息を吐きだした。

 

「希弥……大丈夫?」

 

「……え?」

 

何のことかは聞かなくても、瑠衣が言いたいことは分かってしまう。

瑠衣は僕が無理をして笑っていることに気付いているだろう。

でも僕はそれを改まっていう気はない。瑠衣が気付いているのであれば、尚更。

 

「大丈夫だよ。体の心配をしてくれたんだよね?

今日は何だかすごく体が軽いんだ。このまま空へ飛んでいけそうなぐらいにね」

 

そう、本当に今日は体が軽い。

今ならあの空を飛んでいる鳥のように羽ばたけるような気さえおきてしまう程に。

窓の外を眺めていると、背中に衝撃を感じて振り向けば、まるで僕を離さないように必死にしがみつく瑠衣の姿があった。

 

「バカっ…!!消えちゃうような言葉、言わないでよ…。

嫌だ…希弥がいなくなっちゃうなんて嫌っ…!私を一人にしないで……」

 

か細い彼女のどこにそんな力が隠されていたのだろうかと思うぐらい、力強く抱きつく瑠衣からは必死さが痛い程に伝わってくる。

あぁ…、こんなに僕のことを想ってくれているのか。

こんな可愛い女の子に消えちゃ嫌だなんて言われる僕を羨む男は多いんだろうな…。

そんなことを考えていたら、無性に瑠衣を独り占めしたくなってくる。

 

「瑠衣、そんなに強く抱きしめちゃうぐらい、僕のこと好き?」

 

「っ…!す…好き。希弥のこと、大好きすぎて、もっとずっと一緒にいたくて…。

希弥にももっと生きて欲しいって思うし、私ももっと生きたいって願う程、本当に大好き…!」

 

「ははっ、そっか。僕も瑠衣のこと、心から好きだって思っている」

 

ぐらっと視界が大きく揺れる。

あれ…瑠衣の顔、ぼやけてきた……?

 

「お互いずっとこの病院で入院生活してきたんだからさ、どうせならもっと早く君に会っていたかったや…」

 

口は動いているし、声だって出ている。

さっきの言葉の続きを喋り続けているのに、何だか心だけ剥離されているような感覚に襲われる。

 

……もしかして、本当に空を飛ぶ時が来たのかもしれない。

頭の中に瑠衣との思い出が浮かび上がっては消えていく。

確か走馬灯という名前だった気がするこの現象は、本当に馬が走り去っていくように思い出も消え去っていく。

 

「…もっと君と……瑠衣と一緒にいたかった…」

 

もっとたくさんの思い出を作りたかった。

もっと瑠衣の笑顔を見ていたかった。

もっと君を僕のことでいっぱいにしてあげたかった。

そんないくつもの後悔が自然と僕の頬を濡らす。

もし、僕達の体が元気なものだったら、もっと違った未来が待っていたのだろうか――。

…いや、きっとお互い病気だったからこそ、出会えた。

同じ病院に入院していて、似た境遇だったからこそ、ここまで打ち解けられたんだ。

それなら、この運命は短いながらにとても濃く、幸せなものだったんだと思う。

 

「具合よくなったら…2人して病気が治っちゃえばいくらでも一緒にいられるでしょう?

だから早く治そう?それでたくさん思い出作ろうよ!

だから…、っ……、だから死んじゃだめだよ…希弥っ……」

 

あぁ…、また泣かせてしまった。

最期ぐらい、とびっきりの笑顔を見たかったのだけど、これはこれで悪くないかもしれない。

大切な人に泣きながら看取られて死ぬなんて、きっと最高の死に方だ。

落ちてくるこの涙は僕だけに向けられたもの。君が涙を流しているのは僕のせい。

僕だけが君の色々な表情を知っている。この優越感を一緒に持っていけるなんて、本当に幸せだ。

そんな風に思う僕は不謹慎なのかもしれないけど、何だか嬉しくて仕方なかった。

 

空が近い……。体はやっぱり軽い。

もう遠くなってしまった愛しい彼女の声を聞きながら、空に手を伸ばす。

ふわっと前を通り過ぎていった桜の花びらがとても綺麗で、僕は追いかけながら空を駆け上がった。

 

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